東日本大震災に関連した「声」

農作業学を学ぶわれわれにできること

坂井直樹(筑波大学名誉教授)

 2011年3月11日に三陸沖を震源とする巨大地震が発生し,東日本を中心に各地に深刻な被害をもたらした.多くの人命や生活・生産基鍛が失われた.とくに,地震の揺れと律波で制御不能となった東京電力福島第一原発からは,人類の将来に重大な懸念を与えかねない大量の放射能が放出されている.地震や津波による被害を拡大させた放射能漏れは,事故発生以来,依然として収束する目処は立っていない.放射能汚染は,通常の地震や津波の被害に比べて,影響の時空間的規模という点で対処がかなり難しい.想定外の“困ったこと”が起きたのではなく,絶対に起きではならないことが現実に起きてしまったということだ.諸点で地球生態系への悪影響が懸念される中で,今回,人為災害としての放射能汚染の恐ろしさを, しっかりと世界中に見せつけてくれた.次世代を担う子どもたちに,万ーでも健康被害を生じさせることがあったら,何年後,何十年後にだれがどのように責任をとるつもりなのだろうか.同時に,長期間続く生態系における放射性物質の生物濃縮も心配しなければならない.

 一方,今回のような未曾有の事態に遭遇する中で,営々と作り上げてきたもたれ合いの構造,すなわち原発を中心にした既得権益を守ろうとする多くのStakeholderたちの“大丈夫!”論もかまびすしい.そのような立場にいる人たちの利己主義や経済至上主義,楽観主義に基づく世論誘導の実態が次第に明らかになる中で,人々は将来に対する不安を払拭できないでいる.

 一向に収束する気配を見せない原発事故を含めて今回の地震被害に闘して,識者や一般市民,避難住民,マスコミ,自治体などのさまざまな声が聞かれる.本稿では,とくに農作業学を専攻するわれわれが関わることのできると思われる農業支援策を模索していきたい.

 あたりまえのことながら, 地震や津波,放射能汚染は,農民や農地に対して何ら特別な容赦をしてくれなかった.その結果,現在も出荷制限に泣く生産地が少なからずあり,地域や農民が受けたダメージは計り知れない.仮に一時的な被害保障を受けることができても,また仮にどのような緊急対策が採られようとも, これからのかなりの期間,生産地は冬の厳しさに耐えていかなくてはならないのだろうか.その間に,わが国の農業放棄が加速されるかもしれない.このような状況に,われわれが取り組み可能な技術的支援が役立ってくれるといいのだが.

 さて農業支援に関して,農作業学を学ぶわれわれに多少とも貢献可能な場面があるとすればそれは何だろうか,改めて考えてみたい.この際の手助けとなるのが,今回の本誌“特集記事”なのかもしれない.もちろん,正解を一気に得ることは簡単ではないし,研究者や行政サイド,農業関係者たちが日ごろから“Systematic”に対処を考えておくこともなかなか難しい.

 農業支援策に関しては,恐らく,農学関連の多くの学会がそれぞれの立場で考えていることだろう.そのような中で,多少のヒントになるかもしれないのは,他学会と異なる本学会の個性を前面に出すことではないか.そこで考えられるのは,本学会や農作業学がもつ,“農業活動を人聞の側から捉える”という, 他学会にない独自の姿勢ではないだろうか.ここでは,あくまで農作業を実践する人だけに限定して促えるのではなく,消費者を含む広範な人たちや生産環境をも対象としたい.そのような観点に立って,本稿では,以下の緊急の課題に注目し,改めて障害となる問題点を整理してみた.もとよりこれらの課題に対して,あらかじめ正解が用意されているわけではないことはすでに述べた.

解決が急がれる課題の例

 1)地震と津波のダブル被害を受けた農民と農地の再生に対して,われわれは何ができるか?いずれも生産性の低下に直結する課題である.個別に見ると,①農地に流入したがれきやヘドロなどの汚染物の除去,②一般的な不良土壌の一種である塩類集積土壌に対するのと同様の除塩,③流亡や劣化した表土層の再生,④農地の隆起や沈下,⑤農業機械や施設,資材類の被災,⑤販売ブランドの回復,などへの対策が考えられる.生産基盤の回復に関する多くは土木関連事項ともいえようが,いずれの場合も作物や家畜を基軸とした長期の総合システムづくり,およびそのための基礎となる諸データの収集整理が重要となる.将来再び発生するかもしれない災害に備えることや,別の地域に適用することを念頭に置いた基礎データの収集整理がすぐにも必要となる.いずれにしても,山積するこれら課題に対して,農作業学が貢献できる場面は少なくないはずである.

 2)放射能で汚染された農地と農業の再生に対して,われわれは何ができるか?ある種の環境修復植物を用いた播種⇒吸収⇒濃縮⇒刈取りによる持ち出し(隔離)という流れが考えられるが,この場合,果たしてBioremediationは問題なく有効に機能するだろうか?不安に思うのは,土壌中の放射線濃度が比較的高い条件下で,大量に生産される汚染植物残渣を飛散させずに収納する技術,長期間にわたり安全に隔離しておく技術,環境中に戻さない処理技術,作業者や周辺への安全確保など,従来の富栄養化対策や特定の重金属類処理のケースとは異なり,農地の放射性除染に対する既往の研究は必ずしも十分とは思われないからである.放射能除染に関しては,処理技術や基礎データがきわめて貧弱な状況にあることは衆知である.一連の操作には,放射性物質の半減期も関与するので処理手順は複雑化する.例えば,放射性のヨウ素134の半減期は8日,セシウム137では30年,プルトニウム239では24,390年であり,それぞれ扱いが異なる.現象的・技術的に未解明の部分が少なくないが,現実には他に適当な策もなかなか見当たらない.広大な汚染農地を対象にした土壌の無毒化,あるいは簡単に封じ込めるための低コストで大量処理の可能な除染技術がいま渇望されている.

 3)いわゆる“風評被害”に対する農業支援として,われわれには何ができるか?これについても特効薬は見当たらず,地道に信用回復を図っていくこと以外,有効な方法はないのかもしれない.口に入る農産物の場合,イメージや信用が重視されるのは当然であり,沈静化は長期戦になることを覚悟する必要があるだろう.往々にして,“科学”の土俵外の議論になるからである.その場合,歪曲されていない“公正さ”を,何らかの形で関係学会が保証することも考えられなくはない.もちろん,学会員が個人として協力することも可能である.

 4)持続的農業(Sustainable agriculture, SA)構築のために,われわれは何ができるか?農作業学を構成する主要な柱の一つとして,SAが位置づけられ,その構築に筆者も微力ながら関わってきた経緯がある. しかし,今回の震災でこれまでに少しずつ貯えてきた“知の財産”ともいうべきものが一気に失われてしまった感が,正直,否めない.すなわち,放射能汚染という,貧欲にすべてを嘗め尽くす魔物に対して,従来の“常識”や“価値観ぺ“理性”などがまったく歯が立たないとさえ思われてならない.

 しかし,尻尾を巻いて簡単に退散するわけにはいかない.このような状況になった現実を直視して,そして現在を新たな出発点として位置づけることで,今後の農業が目指すべき方向づくりに貢献していくことは可能である.痛々しい眼前の被災回復のみに心を奪われることなく,グローパルな観点からその必要性を冷静に検討し,時間をかけて再構築していく学会本来の仕事として進める必要がある.

 食の安全性や生産の持続可能性を保証するために,自然エネルギーや資源循環への依存度が高く,生態系としての調和を図ることを前面に出したSAは,やはり原子力とは相容れない.この際,農業関係者は,挙ってこの点を明確に表明する必要があるのではないだろうか.このことは,化石エネルギーに代わり自然エネルギーを積極的に活用しようとする新たな農業システムを,次代が必要としていることとも関係するはずである.

 残念ながら,技術的にもコスト的にも簡単に済む課題はなさそうである.いや,それ以上にどの課題にも特効薬がないことに唖然とする.復興には,長期展望に立った個別技術開発と総合システムづくりが不可欠である.農作業学を学ぶわれわれも,さまざまな支援の場面に立ち会うことを願うものである.

(農作業研究 第46巻第3号「声」より)

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