沿 革

設立の機運

 日本農作業学会は,1965(昭和40)年に研究会として発足した.設立趣意書によれば,①本来,作物や家畜などの増収技術と農作業(人間)の研究が併行して進められることが望ましいのに,後者が著しく立ち遅れていた,②多くの場面で農作業の研究が現場対応的な性格をもつことから,既存の学問範疇では扱い難いと認識されていた点が背景にあった.加えて,③国際農業工学会(CIGR)の一部門に農作業管理学部会(Management, Ergonomics and Systems Engineering)を新設して意気あがる欧米に対して,わが国に受け皿がないという問題もあった.そこで農作業の合理化という共通認識のもとで,関連研究を総合的に展開しうる学術団体の設立が強く求められた.

 一方,すでに作物・園芸・畜産・林業・養蚕などの分野において,機械利用と労働,作業方式と耕種様式,生産様式と労働配分および経済性などに関する研究が,部分的ではあるが着実に進められていたのも事実である.これら一連の動きが醸成してきた機運を受けて,1965(昭和40)年2月に農林省農業技術研究所で賛同者202名の参加を得て,本会が正式に発足することになった.

 設立総会では,会長に戸苅義次(敬称略,以下同様),副会長に岩片磯雄・鏑木豪夫が指名された.1966(昭和41)年度末の会員数は751名(正724・購読10・賛助17)であった.事務局は農林省農事試験場に置かれた.会誌名を「農作業研究」とすること,常任幹事会や編集委員会の設置,地区談話会や記念講演会などが矢継ぎばやに企画された.1966(昭和41)年度からは春秋の大会ならびに講演会が定期的に実施されるようになった.

 これに先立って,日本国際農業工学会(後の日本農業工学会)が結成され,本会に対しても運営委員を送り出すよう要請があった.

 

創立10周年までの10年間

 1969(昭和44)~1970(昭和45)年度は会長に鏑木豪夫,副会長に熊代幸雄・川廷謹造が就任した.庶務・会計は農事試験場畑作部,編集は東京大学に置かれた.1969(昭和44)年には用語委員会が設置された.1970(昭和45)年度末の会員数は1,010名であった.

 1971(昭和46)~1972(昭和47)年度は会長に川廷謹造,副会長に児玉賀典・泉清一が就任した.庶務は農事試験場作業技術部,会計は同畑作部,編集は東京大学に置かれた.

 1973(昭和48)~1974(昭和49)年度は会長に川廷謹造,副会長に児玉賀典・田原虎次が就任した.その後,川廷会長が病気により辞任したため,後任の会長に田原虎次,副会長に市村一男が就任した.1973(昭和48)年度末の会員数は1,109名であった.創立10周年を迎えるのを契機に,従来の人事小委員会による役員推薦方式から役員選挙方式への移行を検討するための委員会が1974(昭和49)年度に設置された.答申を受けて,評議員による2段階選挙で会長や副会長などの役員を選出するという現行方式が1977(昭和52)年度から導入されることになった.

 

創立20周年までの10年間

 1975(昭和50)~1976(昭和51)年度は会長に田原虎次,副会長に大橋一雄・市村一男が就任した.庶務・会計は茨城大学,編集は東京農工大学に置かれた.1975(昭和50)年10月には,創立10周年記念シンポジウムが東京で開催された.このとき,「農作業便覧」の初版が刊行された.その後,本書は創立20周年に当たる1985(昭和60)年に改訂された.1976(昭和51)年度春季大会で,役員任期を2年から現行の3年に変更することが決まった.1976(昭和51)年度末の会員数は1,151名であった.

 1977(昭和52)~1979(昭和54)年度は会長に田原虎次,副会長に大橋一雄・市村一男が就任した.事務局には変更がなかった.

 1980(昭和55)~1982(昭和57)年度は会長に松本正雄,副会長に辻隆道・角田公正が就任した.庶務・会計は茨城大学に,編集は東京大学に置かれた.研究会から学会への移行を検討するための委員会が発足したが,"まだ移行への機運が十分に熟していない"との答申が出された.この時期,現在も活動が続く「農作業データ集作成委員会」が発足した.1980年度(昭和55)には日本学術会議会員登録がなされ,ISSN(国際標準逐次刊行物番号)が本会誌に割り当てられた.

 1983(昭和58)~1985(昭和60)年度は会長に角田公正,副会長に本田太陽・米村純一が就任した.庶務・会計は農業研究センター,編集は東京農業大学に置かれた.1983(昭和58)年度末の会員数は930名であった.1984(昭和59)年度には新生「日本農業工学会」が発足し,同会副会長に角田本会会長が就任した.特許庁から学術団体指定を受けた.1985(昭和60)年度春季大会では,"次年度から学会へ移行すべき"という答申が出されるとともに,会誌に巻号制を取り入れることになった.その結果,1986(昭和61)年6月発行分の第57号が21巻2号と読み替えられることになった.1985(昭和60)年8月には,創立20周年記念シンポジウムが東京で開催された.

 

創立30周年までの10年間

 1986(昭和61)~1988(昭和63)年度は会長に角田公正,副会長に米村純一・池田弘が就任した.庶務・会計は農業研究センター,編集は東京農工大学に置かれた.1986(昭和61)年度春季大会で学会への移行が正式に決まった.企画委員会が設置されるとともに,講演要旨集を会誌の別号とすることもこのときに決まった.1986(昭和61)年度末の会員数は814名であった.

 1987(昭和62)年1月開催の日本農学会評議員会で本会の日本農学会加入が認められ,続いて10月には日本学術会議から本会を学術団体と認める通達があった.1988(昭和63)年度春季大会では,念願の日本農作業学会賞が新設された.

 1989(平成元)~1991(平成3)年度は会長に米村純一,副会長に大崎和二・春原亘が就任した.庶務・会計は茨城大学,編集は東京農工大学に置かれた.1990(平成2)年度春季大会で,菅原清康・進藤隆(焼畑農法における作付体系とその成立要因に関する研究)に第1回学会賞が授与された.1990(平成2)年8月には,創立25周年記念シンポジウムが東京で開催された.1990(平成2)年度末の会員数は761名であった.1991(平成3)年度春季大会では,奨励賞が追加制定された.

 1992(平成4)~1994(平成6)年度は,会長に春原亘,副会長に大崎和二・下田博之が就任した,庶務・会計は茨城大学,編集は東京農工大学に置かれた.1992(平成4)年度学会賞が遠藤織太郎(大規模酪農における電化機械化の効果に関する研究),奨励賞が坂上修(野菜栽培における農作業合理化に関する研究)に授与された.1993(平成5)年5月には,CIGR国際シンポジウムが東京で開催され,本会からは下田副会長が基調講演を行った.

 1993(平成5)年度には,大崎副会長の逝去にともなう後任に遠藤織太郎が就任した.庶務・会計は筑波大学,編集は東京農工大学に置かれた.1994(平成6)年度学会賞が坂井直樹(不耕起栽培の評価に関する研究)に授与された.1995(平成7)年度からはCIGR理事を本会から送り出すことになった.1995(平成7)年8月には,創立30周年記念シンポジウムが東京で開催された.1996(平成8)年3月の31巻1号から,従来の年間3号発行から現行の年間4号発行体制に移行した.1994(平成6)年度に制定された功績賞が,1995(平成7)年度春季大会で稲野藤一郎,山口泉に授与された.

 

創立40周年までの10年間

 1995(平成7)~1997(平成9)年度は会長に遠藤織太郎,副会長に塩谷哲夫・佐々木邦男が就任した.庶務・会計は筑波大学に置かれた.1995(平成7)年度末の会員数は765名であった.1997(平成9)年度学会賞として,改称なった学術奨励賞が北倉芳忠(大区画埴土湿田における乾田直播作業体系)および小松﨑将一(畑作における麦類の自生作物化と作付体系に関する研究)に授与された.1997(平成9)年度功績賞が一戸貞光,高橋保夫,向井三雄に授与された.1997(平成9)年8月には,国際農作業セミナーが米国で実施された.

 1998(平成10)~2000(平成12)年度は,会長に塩谷哲夫,副会長に飯本光雄・高井宗宏が就任した.庶務・会計は生研機構,編集は筑波大学に置かれた. 1998(平成10)年度末には,学会HPが開設された.1999(平成11)年度学術賞が山下淳(飛び石事故防止のための固定刃付き刈払機に関する研究)に授与された.1999(平成11)年9月には,学術図書「農作業学」が刊行された.1998(平成10)年度末の会員数は659名であった.2000(平成12)年7・8月には,タイ国で海外セミナーが開催され,11月には,CIGR 2000年記念世界大会がつくばで開催された.また,学会シンボルマークが制定され,以後さまざまな場面で利用されるようになった.

 2001(平成13)~2003(平成15)年度は,会長に塩谷哲夫,副会長に坂井直樹・石川文武が就任した.庶務は生研機構,会計は中央農業総合研究センター(以下、中央農研),編集は茨城大学に置かれた.2001(平成13)年度学術賞が宮崎昌宏(傾斜地カンキツ園の歩行形機械化体系の開発と評価に関する研究)に授与された.2003(平成15)年度学術賞が冨樫辰志・下坪訓次(水稲代かき同時打ち込み点播機の開発)に授与された.2003(平成15)年度末の会員数は590名であった.

 

2009年時点(創立50周年までの10年間(その1))

 2004(平成16)~2006(平成18)年度は会長に坂井直樹,副会長に堀尾尚志・森泉昭治が就任した.庶務は筑波大学,会計は中央農研,編集は東京農業大学に置かれた.2004(平成16)年8月には,インドネシアで海外セミナーが開催された.2004(平成16)年度春季大会では,終身会員制度が導入された.この結果,会員は正・終身・学生・購読・名誉・賛助の6種となった.2007(平成19)年度学術奨励賞が前川寛之(作業姿勢改善に視点を置いた野菜,果樹等の仕立て方),長崎裕司・川嶋浩樹(地域特性に対応した野菜の農作業・施設に関する研究)に授与された.2006(平成18)年度春季大会では,評議員定数の改定および会長・副会長などの役員選出規定が変更された.農作業用語集(CD-ROM版)が出来上がり,新入会員を含むほぼ全会員に無料配布された.

 2007(平成19)~2009(平成21)年度は会長に坂井直樹,副会長に堀尾尚志・石川文武が就任した.庶務は筑波大学,会計は中央農研,編集は茨城大学に置かれた.2006(平成18)年度末の会員数は559名(正442・終身14・学生17・購読72・賛助6・名誉8)であった.2007(平成19)年度学術賞が小松﨑将一(カバークロップを利用した農作業システムに関する研究),学術奨励賞が南川和則(水田からの温室効果ガス発生抑制のための圃場管理技術)および佐藤達雄(キュウリのかん水同時施肥栽培における葉数変化を生育指標とした施肥管理技術)に授与された.

 

今後の方向(2009年時点)

 創立以来,一貫して作業安全色といわれる黄色が本会のシンボルカラーになっている.かつては狭義の労働や作業に関する研究が本会のほとんどすべてであったといっても過言ではないが,最近ではそれらの重要さは変わらないものの,研究範囲や手法は確実に拡大深化している.例えば,食のグローバル化や安全性,環境保全や持続性,地球環境問題,農業景観,農業セラピー,農村活性化,農業教育や普及など,本会が担当することの可能な分野が確実に増えているように感じられる.ここで本会の特徴を改めて整理してみると,"人間の側に立って農作業合理化研究を進める",あるいは"作業をする人間の視点を重視して農業活動の最適化やシステム化を希求する"と捉えることができよう.ここでいう最適化やシステム化は,本来が動的な概念であり,研究対象や手法を含めて社会の要請や価値観,研究進度などで変わりうる.本会には,"作業主体"である人間という複雑な対象をつねに視野に入れた総合システムとしての成果を世に問う姿勢,そのために間口や奥行きの広さ,あるいは方法論の斬新さや思考の柔軟さなどが必要とされているはずである.日本農学会を構成する学会の一つとして明確な個性に裏づけされた"旗印"を掲げる一方で,今後とも社会が期待する役割を存分に果たしていくには,日々の自覚と研鑽が改めて求められていることは間違いない.

 

備考

 以上は,坂井直樹会長(執筆当時)による「日本農学80年史」(日本農学会編,養賢堂,2009年10月発行)に掲載された「日本農作業学会の足跡」原稿を一部改変したものである.これまでの本学会の発展に貢献されてきた諸先輩,関連学協会,さらには快く転載を許可された日本農学会に改めて謝意を表する.

 

創立50周年までの10年間(その2)

 2010(平成22)~2012(平成24)年度は会長に瀧川具弘,副会長に小林恭・中司敬が就任した.庶務は茨城大学,会計は中央農研,編集は筑波大学に置かれた.2010(平成22)年度学術賞が田島淳(局所耕うん栽培法の開発に関する研究)に,2011(平成23)年度学術賞が荒木肇(北陸地域におけるカバークロップを利用した持続的農業技術に関する研究)に,2012(平成24)年度功績賞が神田修平(学会誌の質向上にかかわる編集委員会を通した学会への貢献)に授与された.2011(平成23)年3月11日に東日本大震災が起こり,2011(平成23)年度春季大会が3月から7月に延期されて開催されたほか,緊急集会の開催や学会誌の「声」の特集,2012(平成24)年度春季大会における一般公開シンポジウム「放射能汚染と農作業」の開催などを通じて,復興支援に取り組んでいる.2011(平成23)年9月には,独自ドメイン"jsfwr.org"でのWebサイトのリニューアル運用が開始された.2011(平成23)年11月には,CIGR国際シンポジウム2011が東京で開催された.2012(平成24)年度2月末の会員数は481名(正372・終身20・学生20・購読53・賛助6・名誉10)であった.

 2013(平成25)~2015(平成27)年度は会長に瀧川具弘,副会長に荒木肇・細川寿が就任した.庶務は筑波大学,会計は中央農研,編集は北海道大学に置かれている.2013(平成25)年度春季大会では,優秀学生賞,優秀地域貢献賞,称号の新設が決定された.2013(平成25)年4月から投稿規程が大幅に改定され,新たな日本農作業学会誌和文原稿執筆要領と「農作業研究」原稿送状が制定され,それぞれウェブサイトからファイルをダウンロードして使用する方式となったのに続いて,2014(平成26)年4月から投稿規程・和文原稿執筆要領が再改定され、「チェックリスト」をウェブサイトからダウンロードして添付すること等,ネットから電子ファイルで投稿する方式に全面移行した.2014(平成26)年5月に優秀地域貢献賞規程・細則が定められ,受賞候補者の推薦が開始された.2014(平成26)年度秋季大会 創立50周年記念シンポジウム-農作業の過去と未来・光と影-が開催され,2014(平成26)年度優秀地域貢献賞が深山陽子(神奈川県内における学会員のリーダー格として取り組んだ園芸分野の農作業軽労化研究),川口岳芳(広島県特産であるワケギ球根の移植方法の開発と普及),北倉芳忠・小橋工業株式会社 (重粘土壌における残渣鋤込み・耕うん同時播種技術の開発と北陸地域および全国への普及),中井譲(琵琶湖の環境保全を主眼とした水稲栽培の米ぬか処理による抑草・除草技術の研究および発信),相澤正樹・山村真弓(園芸栽培を対象とした農作業負荷評価および軽労化技術の東北地域からの発信)に授与された.2015(平成27)年度優秀地域貢献賞は竹中秀行(北海道における省力・軽労化生産技術の開発と普及),豊原憲子(高齢者や障がい者の作業改善や組織運営に関する研究と情報発信)に授与された.2015(平成27)年1月1日から事務局業務を株式会社共立に委託し,事務局所在地とした.2015(平成27)年度2月末の会員数は465名(正351・終身23・学生28・購読47・賛助5・名誉11)であった.

 

現在

 2016(平成28)~2018(平成30)年度は会長に東城清秀,副会長に宮崎昌宏・小松﨑将一が就任した.庶務は東京農工大学,会計は中央農研,編集は茨城大学に置かれた(事務局業務は株式会社共立に委託).2016(平成28)年度学術奨励賞が川村富輝(水田転換畑におけるダイズ,ムギ等の省力・低コスト・安定生産のための播種技術の開発)に,2016(平成28)年度功績賞が足立原貫(北陸地域での農作業に関する教育・研究の推進)に,2016(平成28)年度優秀地域貢献賞は山根俊(静岡県の地域特産物における省力生産技術の開発と普及),西村融典(暖地における青切り出荷体系タマネギの省力的収穫・調製体系の開発と普及)に,2017(平成29)年度学術奨励賞が松尾健太郎(二段ベルト式搬送機構による野菜の播種間隔精度向上に関する研究)に,2017(平成29)年度優秀地域貢献賞は國本佳範(奈良県の農業現場における総合的害生物管理技術の開発および普及実践)に,2018(平成30)年度学術賞が石川一憲(ストレプトマイシンにより誘起した無核4倍体ブドウ‘藤稔’の大粒果生産性向上による農作業改善に関する研究)に,2018(平成30)年度学術奨励賞が冠秀昭(プラウ耕鎮圧体系乾田直播栽培の導入拡大に向けた基盤管理技術の開発)に,2018(平成30)年度功績賞が米川智司(優秀地域貢献賞の新設による学会活性化への貢献)に授与された.2018(平成30)年度春季大会では,会則が大幅に改定され,会計監査が監事となり,幹事に替わって理事および理事会の新設等が決定され,学会三役,事務局,評議員および評議員会の役割が明確化された.さらに,北陸支部が廃止され,新潟県が東北支部に加わり,その他の県は東海・近畿支部に加わり,近畿・中部支部に改称された.また,会則改定に伴い,委員会規程の新設や各賞授賞細則等の関連規程も改定された.改定された会則は2019(平成31)年度から施行されるが,2018(平成30)年度に実施される評議員等の選挙は,改定された会則が適応されるため,各種選挙規程が改定され,評議員定数も改定された.

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